能を愛したフランス人、エレーヌ・ジュグラリス

静岡県静岡市清水区の三保半島にある、三保の松原。

松の木に囲まれ、富士山を望む砂浜は、「富士山−信仰の対象と芸術の源泉」として2013年に世界遺産に登録され、全国各地から観光客が訪れています。

海と松原と富士山が同じ風景に収まる、日本的な風景はここでしか見られないということで、清水港に寄港する大型客船からもツアーバスが訪れる場所。

この三保の松原の一角に、小さな慰霊碑があるのは知っていますか?

何も知らなければ見過ごしてしまいそうだけれど、とっても深いヒストリーのあるエレーヌの碑について紹介したいと思います。

羽衣の松伝説

三保の松原には、羽衣の松の伝説があります。

その伝説とは・・・

昔々、三保の村に住んでいた白龍(はくりゅう)という漁師がある日、三保の海岸で景色を眺めていたときに、松の木の枝に引っかかった美しい羽衣を見つけたそうなんです。

その羽衣があまりにも美しかったので、白龍はそれを家に持ち帰って宝物にしようと喜んでいました。

ところがすぐに天女が現れ、泣きながら

「それは天人の羽衣、それがないと私は天に帰れません。返してください。」

と白龍に訴えかけたそうな。

美しい羽衣を自分のものにできると思って喜んでいた白龍ですが、天女をかわいそうに思い、「天の舞を見せてくれるなら返してもいい」と答えます。

しかし天の舞を踊るのは良いが、その羽衣がないと踊れないから、先に返して欲しいと言う天女。

白龍は「そうは言っても、羽衣を返してしまったらきっと天の舞を踊らずそのまま逃げてしまうだろう」と言ったんです。

すると天女は、

「裏切るとか、嘘をつく、と言うのは地上にだけ存在すること。天の国にはそんなものは存在しません。」と答えました。

その言葉に納得をした伯梁は、羽衣を天女に返し、天女は美しい天の舞を踊ってから天へ戻って行ったという・・・

このようなお話です。

この羽衣の松伝説は、世阿弥によって能の演目として完成され、現在でも能の演目の一つとして演じられていて、三保の松原には伝説の松(現在3代目)が大切に保存されています。

伝説の松から松林を抜けると、まっすぐ続く「神の道」があり、その先の御穂神社まで樹齢300年〜400年の松の木が立ち並んでいて、御穂神社は富士山の神様とゆかりの強いパワースポットとしても知られているんですよ。

この羽衣の松伝説と、エレーヌ・ジュグラリスにどのような関わりがあるんでしょうか?

私は通訳案内師としての活動の際、文献を読み込んだり観光案内所等で聞き取り調査をしたんですが、非常に興味深いことが分かったんです。

エレーヌ・ジュグラリスとは

エレーヌ・ジュグラリス(Hélène Giuglarisは、1916年にフランス北部・ブルターニュ地方カンペール生まれのフランス人女性ダンサーです。

演劇に造詣の深かった彼女は、日本の能に魅せられ、中でも羽衣の松の演目をとても気に入って、まだ翻訳された台本などもない時代に、自分で演目の研究を行いました。

自分で着物や能の面も作り、パリの舞台で披露するなど、心から三保の松原の伝説と能芸術に惚れ込んでいたエレーヌでしたが、1951年、35歳という若さで白血病に侵され、帰らぬ人となってしまいました。

舞台で演じている最中に倒れたエレーヌが踊っていたのも、羽衣の松の演目だったとか・・・。

いつかは三保に行って、実際に伝説の羽衣の松を見てみたい・・・生前そう願っていたエレーヌを近くで見ていた夫のマルセルは、エレーヌの遺髪を持ってエレーヌの死の翌年1952年に三保を訪れました。

戦後、辛い生活を送っていた三保の人々は、マルセルからその話を聞いてとても感動して、募金を募り、エレーヌの慰霊碑を三保の松原の一角に立てることになりました。

その慰霊碑の下には、マルセルが持ってきたエレーヌの遺髪が納められ、石碑にはマルセルがエレーヌを想って書いた詩が刻まれています。

その詩には、三保の松原で海風を感じ、その風がパリで羽衣に命を捧げた妻を思い出させてくれる、と悲しいけれど温かいメッセージが込められています。

そして、三保では毎年10月に、エレーヌが愛した羽衣の松の能を演じる「羽衣まつり」が行われています。

能を愛したフランス人女性・エレーヌの哀しいお話ですが、大好きな三保でエレーヌを想って羽衣の松の能が演じられていることは、心が温まるエピソードでもあると思います。

三保の松原に行くことがあったら、是非エレーヌの碑にも立ち寄ってみてくださいね。

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